マリ子の不思議な色鉛筆 作キムドン

 中休みに外遊びに行こうと椅子から立ち上がった健太は今日も机の上にスケッチブックを開いて絵を描き始めたマリ子の姿が目に入った。

「今日は天気がいいよ。マリ子は外遊びにいかないの。」と健太がマリ子に声をかけた。

マリ子は顔を上げ健太の顔をじっと見てから静かな声で言った。

「健太、いつも外遊びに誘ってくれてありがとう。外遊びも楽しそうだけれど、私は絵を描いている方がもっと楽しいの。」

そういうとマリ子はスケッチブックに絵を描き始めた。

 4月に転校してきたマリ子はクラスの友達とほとんど交わらず、休み時間も遊びの輪に入ることをせず、スケッチブックに黙々と絵を描いて時間を過ごしていた。

 クラスのお友達は何度かマリ子を遊びに誘ったがそのたびに断られるのでしだいにマリ子を誘わなくなった。

 でも健太だけ、休み時間になると必ずマリ子を外遊びに誘っていた。

 健太はマリ子に断られても気にせず「じゃあ、またね。」と外に飛び出していくが時折、外遊びに行かずにマリ子の描く絵を黙って見続けていることがあった。
 マリ子の描くいろいろな絵には、必ず、お父さん、お母さんそして二人の女の子の家族が描きこまれていた。

 でも、幸せそうな家族の絵を描いているマリ子の顔はとても悲しそうな表情なのだ。

健太はそのことが気になっていた。

今日も健太がマリ子の描く絵に見入っているとマリ子の手が止まった。

「あっ、ごめん。僕がいると絵を描く邪魔になるね。」と健太が慌てて椅子から立ち上がるとマリ子が首を振って言った。

「健太がそばにいても邪魔にならないわ。時々健太が外遊びに行かないで私の絵を見てくれてうれしいわ。」とにっこり笑って言った。

そして、マリ子は周りを見回し教室に誰もいないのを確かめてから健太にささやいた。

「実はね。健太に聞いてほしいお話があるの。」

健太はマリ子が顔を近くに寄せてきたのでドキッと胸が高鳴った。

「昨日の学校の帰り、町はずれの文房具屋さんに行ったの。」

「ああ、今にもつぶれそうな小さな文房具屋さんね。お店の番をしているおじいさんの獅子鼻の顔は魔法使いみたいだとみんなが噂しているよ。」

「そんなことを言っちゃあ駄目よ、健太。あのおじいさんは見かけと違ってとっても親切よ。品ぞろえもいいお店よ。」

「へーっ、そうなの。マリ子は文房具屋さんに何を買いにいったの。」

健太は駄菓子屋さんにはしょっちゅう出入りしているが、文房具屋さんにはあまり縁がない。

「色鉛筆を買おうと思ってお店に入ったのよ。お店には色鉛筆が山積みになって置いているのよ。鮮やかな色鉛筆の山を眺めていたら、一本だけ黒くて地味な色の色鉛筆があったの。」

「へえーっ、地味な色の色鉛筆なんておかしいね。」と健太が言うとマリ子も頷いて話を続けた。

「私も何となくその黒いくすんだ色の色鉛筆に心を惹かれて手に取っていたら、獅子鼻のおじいさんが突然、私の目の前にぬっと現れたの。びっくりしてキャーッと声をあげてしまったわ。」

「マリ子だって失礼なことをしてるよ。」と健太が笑いながら言った。

「へへっ、でも、にっこり笑うとおじいさんはとても優しい顔になるのよ。おじいさんは笑顔で私に言ったのよ。『山積みの色鉛筆からそれを見つけ出したあなたに特別教えてあげますね。あなたが手にしているのは不思議な力を持った色鉛筆ですよ。書いたものが紙から飛び出してきます。あなたに差し上げますからどうぞお使いください。』って。これがおじいさんからいただいた不思議な色鉛筆よ。」とマリ子は筆箱からくすんだ色の色鉛筆を取り出して健太に見せた。

マリ子の話を半信半疑で聞いていた健太は不思議な色鉛筆を目の前に出されると急に興味がわいてきた。

「マリ子はこの色鉛筆で絵を描いてみたの?」と健太は目を輝かせて聞いた。

「昨日家に帰ってからこの色鉛筆で絵を描いてみようと思ったけれど、一人で描いていて紙から描いた絵が飛び出してきたら恐ろしいでしょう。それで、誰かと一緒にこの色鉛筆を試してみようと思ったの。」そういうとマリ子は健太の顔を覗き見た。

「ええっ、僕と…」健太はマリ子の思いがけない提案に戸惑っているとキーンコーンカーンコーンとチャイムが鳴り、がやがやとクラスの友達が教室に戻ってきた。

マリ子はスケッチブックを机の中にしまいながら少し強い口調で健太に言った。

「健太、今日、一緒に帰ろう、私の家に来て。」

健太は思わず「うん」と返事をして席に戻った。席についてマリ子との話を振り返った健太は『本当はマリ子は無口じゃない明るい女の子なんだ。』と気づいた。

マリ子の家は町はずれの小さな文房具屋の近くにあった。

マリ子と健太を出迎えてくれたのは、優しい笑顔のおばあさんだった。

「まあ、マリ子がお友達を連れ来るなんて。それも元気な男の子。今日はどうしたのかしら。オホホホ。」とおばあさんはうれしそうに笑って健太を家の中に招き入れた。

「おばあちゃん、同じクラスの健太よ。いつも私の描いた絵を見てくれるのよ。今日は2階の私の部屋で一緒に絵を描くのよ。」

とマリ子がおばあちゃんにうれしそうに話すとおばあちゃんは目を丸くしていた。

「私の部屋を片付けてくるから健太、ちょっと待っていてね。」

「ほらほら、散らかった部屋を健太くん見られたら恥ずかしいよ。しっかりお掃除をしてね。」とおばあちゃんは健太に片目をつぶってまりこを2階に追いやった。

「健太くん、マリ子のお友達になってくれて本当にありがとう。学校の先生からマリ子はいつも一人ぼっちでいると聞いていて心配だったの。マリ子は元々、明るく元気いっぱいの女の子だったのよ。今日は、元のマリ子にもどっているので不思議だわ。きっと、健太くんのおかげだわ。」

おばあちゃんはマリ子が2階に上がっている間にマリ子の身の上に起きた出来事を教えてくれた。健太に本当のマリ子の姿を知ってほしいと思ったのかもしれない。

去年の夏、家族で海水浴に行った帰りに交通事故に巻き込まれ、両親と妹が亡くなり、重症を負ったマリ子一人が残されたというのだ。

この不幸な事件がマリ子から明るさと笑顔を消して、無口で人見知りの女子に変えてしまった。

怪我が治ったマリ子はおばあちゃんに引き取られ3年生になった4月に健太の通っている小学校に転校してきた。おばあちゃんは友達ができず寂しい毎日を送っているマリ子がとても気がかりだったという。

それが、今日、男の子の友達を連れて元気よく帰ってきたマリ子を見て、うれしくてたまらないとおばあちゃんは健太の手を握って涙を流して喜んだ。

健太は突然、マリ子に誘われてやってきただけなのにおばあちゃんに涙を流すほど感謝されてどぎまぎしていた。おばあちゃんにどう返事をしたらよいのだろうと迷っていたら2階から「健太、早く上がってきて。」と健太を呼ぶマリ子の声が聞こえてほっとした。

「僕、マリ子のいい友達になるから安心して。今の話は僕の胸にしまっておくから。」と健太はおばあちゃんに言って、マリ子の待っている2階へ急いで向かった。

マリ子の部屋は明るく、なにもかもがきれいに整頓されていた。部屋には本棚があり、たくさんの童話や絵本が収められていた。壁にはマリ子が描いた絵が何枚も張られていて、窓から差し込む光に照らされ、美しい色を放っていた。

『僕の勉強部屋とは大違いだ。』と健太は部屋の中を見回してため息をついた。

窓際のマリ子の机の上に真新しいスケッチブックが置かれ、椅子が二つ並んでいる。

「さあ、用意ができたわ。ちょっと狭いけれど健太は私の横に座って。」

マリ子は部屋の入口にボーっと突っ立っている健太を手招きした。

そして、スケッチブックを開くと不思議な色鉛筆をその上に置いた。

「何を描こうかしら、健太、私、いま胸がドキドキしているわ。」

「うーん、そうだね。マリ子がいつも描いている絵じゃなくて、いままで描いたことがない絵にしたらいいよ。絵から飛び出してくるなら鳥の絵なんか面白いと思うよ。」

「健太、いいアイデアだね。私がまだ見たことがない青い鳥を描いてみるね。」

マリ子は不思議な色鉛筆を手に取りスケッチブックにすらすらと鳥の絵を描き始めた。

黒いくすんだ色鉛筆なのに羽の色を塗るとマリ子の思った通りの鮮やかな青色になり、胸とおなかは真っ白な毛の色になった。

「さあ、できたわ。」とマリ子は健太に言って、不思議な色鉛筆を机の上に置いた。

二人が息をつめてスケッチブックの青い鳥を見ているともぞもぞ動き始め、パッと羽を広げスケッチブックから飛び出すと本棚の上に留まり『ピー、チュイ、ピー』と鳴いた。

「あっ、オオルリだ。この青い鳥は僕がよく遊びに行く森林公園にいる野鳥だよ。そうだマリ子、今度はオオルリがいる森の絵を描いてよ。飛び出してきたオオルリもこの部屋はせまくてかわいそうだよ。」

マリ子はさっそくスケッチブックの新しいページを開くと森の絵を描き始めた。

「マリ子は本当に上手だね。あっ、マリ子の描いた森の木が風に揺れているよ。絵の中から小鳥のさえずりも聞こえてきたよ。」と健太が驚いて声を上げた次の瞬間、二人は森の中の散策路に立っていた。

散策路の両側に背の高いカラマツ、トドマツが立ち並び緑のトンネルになっている。

二人はスケッチブックと不思議な色鉛筆を手に森の奥に向かって歩き始めた。

『ピー、リーリーリー。』というきれいなさえずりが聞こえ、見上げるとマリ子の描いた青い鳥のオオルリが二人を先導して目の前を飛んで行った。

しばらく歩いていくと二人は大きな森のため池に出た。

「あっ、ため池だ。森のため池にはいろいろな水鳥が集まってくるんだ。」

「えっ、ため池って。ねえ健太。森の中にどうしてため池なんてあるの。」

「僕がいつも遊びに行く森林公園にも地下水が湧き出してできたおおきなため池があるけどこのため池もきっとそれと同じだよ。」

「へーっ、そうなの、健太は物知りね。」とマリ子は感心してつぶやいた。

健太は散策路の道端に咲いている野草の名前や木々の間からさえずりが聞こえてくる野鳥の名前をマリ子に教えながら森の中を歩いてきたのだ。

いつも家の中に閉じこもって絵ばかり描いていたマリ子にとって、見ること、聞くことすべて新鮮な体験だった。

「でも、おかしいなあ。水が枯れているぞ。浅瀬のところは池の底がみえている。」

ため池に駆け寄った健太が言った。

ため池にわずかに残っている小さな水面にカルガモの群れが体を寄せ合っている。

オオルリがカルガモの群れに飛んで行って聞いた。

「ため池の水が減っているけどどうしたの。」

「あっ、オオルリさん。聞いてください。」とカルガモは悲しそうな顔を上げていった。

「森の近くの原野に工業団地が作られたの。たくさんの工場が地下水を吸い上げるので、ため池の水が枯れしてしまったの。」

オオルリから話を聞いた健太とマリ子が急いでカルガモの群れに駆け寄るとカルガモたちが口々に訴えた。

「ため池の水が減ってしまい、私たちの命が危険なんです。どうか助けてください。」

マリ子はカルガモの訴えを聞くとすぐに不思議な色鉛筆を取りだした。

そして、スケッチブックにため池に流れ込むきれいな小川とたくさんの魚や水草を素早く描いた。

その途端、スケッチブックから小川が飛び出して、ため池とつながった。

ため池に川の水がどんどん流れ込み、あっという間に水がまんまんと満ちたため池になった。青い空と白い雲を映した水面ををカルガモたちは大喜びで泳ぎ回っている。

カルガモの元気な声を聞きつけ、たくさんの野鳥が森の中から飛んできて、ため池の近くの岩や枝にとまり、きれいな声でさえずりを始めた。

健太とマリ子はため池のほとりに腰を下ろし、その楽しい光景を眺めながらとても幸せな気持ちになった。マリ子が健太に言った。

「健太、この不思議な色鉛筆の力はすごいね。」

「不思議な色鉛筆の力はすごいけど、僕はマリ子の描いた絵のほうがすごいと思うよ。

マリ子の描いた絵を見ていると明るくて、希望があって、なんだか僕は勇気がわいてくるんだ。マリ子の描いた絵が素晴らしいから、こんな素敵な結果になったと思うよ。えへっ」と健太は照れ臭そうに笑いながら言った。

マリ子は健太の話を聞いてこれから自分が変わっていく予感がした。

マリ子は交通事故で両親を亡くしてからずっと深い悲しみから抜け出せずにいた。

悲しみを紛らわせるため絵を描くことに没頭していたがマリ子の描く絵は暗く、喪失感がにじみ出ていた。

でも不思議な色鉛筆を手に入れ、健太とやってきたこの森で描いた絵は健太が言う通り、明るく、希望にあふれていた。マリ子の描いた絵でカルガモを助けることができた喜びがマリ子の心に悲しみを乗り越える力を与えた。

「健太、家に帰りましょう!」

マリ子は元気よく健太に声をかけるとスケッチブックにさらさらと虹色の扉の絵を描いた。

マリ子の描いた扉はスケッチブックから飛び出してゆっくりと開いた。

「あれっ、扉の向こうはマリ子の部屋だ。マリ子はすごい。」と健太が驚きの声を上げた。

「さあ、行きましょう!」マリ子は健太の手を引いて、扉を通り抜けた。

一瞬のうちに森は消えてなくなり、二人はマリ子の部屋に立っていた。

「健太、ありがとう。健太が『森を描いて』といって、一緒に森に行ってとっても素敵な体験ができたわ。」

 マリ子が机の上にスケッチブックと不思議な色鉛筆を置いて健太に言った。

 健太は夢のように過ぎた森の中での出来事を思い出しながらマリ子に聞いた。

 「マリ子、マリ子が描いたオオルリや森や小川の水はどうなったの。」

 「健太、見て、みんなスケッチブックにもどっているわ。」

 マリ子はスケッチブックを一枚一枚、健太に開いて見せた。

 1ページ目は、オオルリがマリ子の部屋の中を飛び回っている絵。

 2ページ目は、オオルリを先頭に健太とマリ子が森の中を歩いている絵。

 3ページ目は、水枯れのため池で悲しい顔のカルガモが群れている絵。

 4ページ目は、ため池にきれいな小川の水がどんどん流れ込んでいく絵。

 マリ子が次々とスケッチブックのページをめくっていくと森の中で健太とマリ子が体験した出来事が絵本のように描き残されていた。

 マリ子はスケッチブックを閉じるとその上に不思議な色鉛筆をそっと置いた。

 すると不思議な色鉛筆はスケッチブックに吸い込まれるように消えていった。

 「あーっ、大変だ。マリ子不思議な色鉛筆がきえてしまったよ。」

 「いいのよ、健太。私、これからは不思議な色鉛筆を使わず、自分の力で絵を描こうと思っていたのよ。そして、不思議な色鉛筆が作ってくれた絵本のような明るい、楽しい絵をいっぱい描いていくわ。クラスのみんなに見てもらうわ。」

 マリ子は戸惑っている健太に、はち切れそうな笑顔を向けると言った。

 「私、明日から外遊びに行くね。健太、必ず、誘ってよ、おねがいね。」

 二人は顔を見合わせて笑った。二人の大きな笑い声がおやつをもって2階に上がってきたマリ子のおばあちゃんをびっくりさせた。