カラスの勘太郎 作 キムドン
小さな漁村の学校に赴任した新米教師の話である。
六月はじめの日曜日の朝のことだ。学級の男の子が数人、カラスのヒナをダンボールの箱に大事そうに入れてもって来た。
「山で遊んでいたら、カラスのヒナが木の下に落ちていた。先生、どうするべ。」
「何とか、巣に戻せないかなぁ。カラスのいたところに案内しろ。」と子ども達と一緒に山へ行った。
カラスの巣というのが、かなり高い木の上にあり、ヒナを戻すのは不可能である。
子ども達に真剣に相談された新米先生は、また、木の下に捨て置く事もできず、つい、
「しょうがない、先生が面倒をみるか。」と言ってしまった。
子ども達は大喜びだった。山を下りる道々、カラスの名は「勘太郎」と決まり、みんなで
「カアカア、カラスの勘太郎!」と歌いながら帰ってきた。
勘太郎は、その日から教員住宅の物置小屋の主となった。
勘太郎は巣から落ちた時、足の骨を折り、ダンボールの中で始終転がって、体中を糞だらけにしていた。
ほおっておくと毛が汚れ、目の玉も糞でふさいでしまうので、毎日体をふいてやった。
足に副木を当てたり、体が転がらないように、つえで支えたり、色々工夫しているうちに、足が曲がったなりに固まってきた。
足がしっかりするとガツガツとえさを食べるようになり、体がみるみる大きくなった。
そして、ひと月も経つと嘴がとがり、羽根も生え揃い、グランドを自由に飛び回るようになった。
勘太郎は、子ども達の人気者だった。
休み時間にはグランドで遊ぶ子ども達の肩から肩へと飛び移って愛嬌をふりまいた。
子ども達と毎日遊ぶうち、勘太郎は色々な芸を会得した。
投げ上げたえさを空中でキャッチするのは朝飯前、急降下に急旋回、しまいにはブランコ乗りや鉄棒の前回りまでやって見せ、子ども達を楽しませてくれた。
ひと冬が過ぎ、勘太郎はすっかり大人のカラスになった。
嘴も爪も鋭さを増し、肩にとまる時の羽音にも一段と迫力が感じられるようになった。
そして、愛嬌者の勘太郎は、悪役に変身するのである。
その一、校舎の中を縦横無尽に飛び回り、臭い糞爆弾を落として回る。
その二、急降下で子ども達の帽子を引っさらって、高い木の枝にかけてくる。
その三、港におりていき、修理中の船の部品をつまんで海の中に落とす。等々…
勘太郎にしてみれば、ちょっとしたいたずらのつもりだろうが、それが何度も続くうち、みんなの鼻つまみ者になっていった。
そんなある日、勘太郎が小さい子を追いかけ回し、頭を突ついてケガをさせる事件を起こした。
この事件をきっかけにとうとう勘太郎の追放が決まり山に放すことになった。
まずは学校の裏手にある山の頂上に放してきた。夕方に出掛け、日が落ちてから放した。
鳥目では、車の後を追えないだろうと思ったからだ。
ところが、翌朝、勘太郎は学校の屋根の上で勝ち誇った様に鳴いていた。
今度は、もっと遠くの山と思い、百キロメートルもの遠方の山の頂上に放してきた。
山に放したのが日中だったので、勘太郎は途中まで、車の後を追いかけてきたが、峠のトンネルを抜けたところで姿が見えなくなった。
二週間後、勘太郎は見るも無惨、ボロボロな姿に変わり果て学校に戻ってきた。
山伝いに帰って来る途中、山のカラスに散々に痛めつけられたものらしい。
羽折れ、傷つきながらも、けなげに学校を目指して戻って来た勘太郎を見ると、さすがに可哀想になり、山に捨てるのはもう止めようと思った。
ところが、先輩の先生が「海を渡っても帰ってこれるかな」と言い出し、勘太郎は、またもや旅に出されることになった。
行き先は海峡を渡った隣の県の港である。
勘太郎の傷が癒えた数日後、深夜のフェリーで海峡を渡り、朝五時、赤い首輪をつけて港に放した。
そして、勘太郎が港のあちこちに散らばっている魚の切れ端を啄むのに夢中になっているうちに、こっそり戻りのフェリーにとび乗った。
港を離れるフェリーの甲板からいつの間にかいなくなった飼い主を探し、桟橋を飛び回る勘太郎の姿が見えた。
その勘太郎に小さく手を振りながら、今度、勘太郎が戻って来たら、大きな小屋を建て、大事に大事に飼ってやろう思った。
これまで、勘太郎に行った数々の仕打ちに後ろめたさを感じていた。
もし、勘太郎が海峡を渡って帰って来たら、もう誰も「海を越えたカラス」を追放するなんて言わないだろうと思った。
勘太郎には、戻って来てもらいたかった。
毎日、毎日、勘太郎を待った。でも、勘太朗は、それっきり帰ってこなかった。