健太の夏休み最終日  作 キムドン


 夏休みの最終日、健太はふさぎ込んでいた。

楽しみにしていた海水浴はいつもの年より早い台風の到来で中止になった。

毎年、お盆に泊りがけで遊びに来ていたいとこの康夫が今年は来る直前に夏風邪をこじらせて取りやめになった。
 何一つ楽しいことがない夏休みだった。

健太は夏休み中をだらだら過ごし、お母さんに叱られてばかりいる毎日だった。

宿題は山ほど溜まっているのに、もう明日から学校が始まる。

何もかも投げ出してしまいたい気持ちで机の上の宿題プリントを眺めていた。

「とうてい無理だなあ、この宿題を一日で片づけるなんて。」

健太は部屋に寝転がって、天井を見上げてつぶやいた。その時、見上げた天井に友達の良太の顔が浮かんだ。

「良太は宿題を終えたかなあ。そうだ、良太と一緒に宿題を片付けよう。」

健太はそう思いつくとバックに宿題のプリントを突っ込み、良太に家に向かった。

良太の家の近くの文房具屋の前を通り過ぎようとした時、お店の中から良太が出てきたので健太はびっくりして声をかけた。

「やあ、良太、こんなところでばったり会うなんて。一緒に夏休みの宿題をやろうと思って良太の家に行くところだよ。」

「宿題かあ、健太、もう宿題のことなんか心配しなくていいよ。」

良太は健太のバックからはみ出している宿題のプリントにちらっと眼をやり、にやにや笑いながら言った。

「実はね。」と良太は健太に顔を近づけるとひそひそと驚く話をし始めた。

「僕は今日、朝早くからお母さんに勉強部屋に閉じ込められて、溜まっている宿題をやらされていたんだ。焦ってやるから宿題の答えを間違えてばかり。何度も消しゴムで消して書き直しているうちに、消しゴムを使い切ってしまった。それで、この文房具屋さんに消しゴムを買いに来たんだよ。」

「ええっ、この文房具屋のじいさんは魔法使いだともっぱらの噂だよ。鼻が大きく垂れ下がっていて、いつも怖い目でにらみつけるから、だれも買いに行かないお店だよ。」

「しーっ、健太。そんな大きい声を出したらおじいさんに聞こえるよ。ぼくは早く消しゴムが欲しくて、仕方なくこのお店に入ったんだ。そうしたら、いつもはしかめっ面のおじいさんが今日はとても愛想がよくてね、『今日は夏休みの最後の日だね、宿題はもう終わったかな。何、まだ終わってない。そりゃ大変だね。消しゴムが欲しいのかね。何度も間違ってばかりいるな、図星だろう。そうだ、この店には何でも、完全に消してしまう特別な消しゴムがあるんだ。それを売ってあげよう。でも、この消しゴムで消したものは永遠に元に戻らないから消す前に良く考えるんだよ。ウッヒッヒ』と言って売ってくれた消しゴムがこれなんだ。健太、僕の家に行ってこの消しゴムで宿題を全部、消してしまおう。」

良太の部屋に駆け込んだ二人は宿題のプリントを机の上に広げて置いた。

「まず、僕がやってみる。」と良太が消しゴムで宿題のプリントをさあーっとなぞった。

するとプリントは消しゴムが触れた途端、ふっと小さな煙を出して跡形もなくなった。

 「あれーっ、宿題が消えたらとてもすっきりした気分になったよ。健太も早く消しちゃえよ。すっきりするよ。」と良太が叫んだ。

まだ、迷っていた健太は良太に言われ、思い切って机の宿題を消しゴムでなぞった。

プリントに消しゴムが触れるとポン、ポンと軽やかな音がしてプリントが煙のように消えていく。同時に健太の心の中のイライラもどこかへ行ってしまった。

宿題の重しが取れ、ぽっかり空いた健太の心の中にその時、どす黒いおぞましい考えが流れ込んできた。

「宿題を消したと言ったら先生は許してくれないなあ。学校が無かったら宿題の心配はないのにね。良太、学校をこの消しゴムで消してしまおうか。」

  健太がそう言うと良太はすかさず同意した。

「そうだね、学校も教室も全部、消しちゃおう!」

二人は夕方までタブレットゲームに夢中に取り組み時間をつぶし、あたりが暗くなったのを見計ってこっそり部屋を抜け出した。

暗く静まり返った学校に着くと学校の玄関の扉を消しゴムで消し、教室に忍び込んだ。

良太から健太は消しゴムを受け取り教室の中の机や椅子を消して回った。教室はあっという間に空っぽになった。健太は消しゴムが触れた瞬間、目の前のものがぱーあっと消えていく快感の虜になって、消しゴムを振り回しながら学校の中を走り回った。
 職員室、体育館、すべての教室が次々と消えていく。気が付くと学校のあった場所は何もない空き地になっていた。

「すごいね、この消しゴム。本当に何もかも消しちゃうんだ。」

健太は消しゴムの力に興奮し、良太に言った。

楽しく学び、遊んだ学校が今は空っぽのさみしい空き地になっている様子を眺めながら良太は『消してしまったものはもう元には戻らないよ。』と言った文房具屋のおじいさんの言葉が思い出していた。

「こんなことを僕たちがやったってみんなに知られたら大変だなあ。みんなにバレない方法はないかな。」

学校の中を手あたり次第、消して回る健太の姿を見ていた良太は浮かない顔だ。

「何言ってるんだよ、良太。そうだ、僕たちが学校や公園に来た証拠を消しちゃえばいいんだ。よーし、まず、良太の足跡を消すよ。」

と言い健太は良太の足跡を消しゴムでなぞった。

その時、勢い良く足跡をなぞった消しゴムが良太の靴にも触れた。

瞬間、良太がふっと目の前から消えた。

健太ははじめ何が起きたのかわからなかった。

良太が消えてしまったのが信じられず、「良太!良太!」と叫びながらあちこち探し回ったが、良太はどこにもいなかった。

息を切らして座り込んだ健太は消しゴムで良太を消してしまった現実をようやく受け止め、後悔と罪悪感に打ちのめされた。

自分が知らず知らずに消しゴムの力に憑りつかれていたことにやっと気が付いたがもう後の祭りだった。

健太が消してしまった教室での良太との楽しい出来事が走馬灯のように頭に浮かんだ。健太の心は大の仲良しの良太を失った悲しみで押しつぶされそうになった。

「どうしよう。良太を元に戻し方法を考えなきゃ。」

健太は真剣に頭を巡らしたがいくら考えてもその方法は見つからなかった。

途方に暮れ、恨めしく消しゴムを眺めていた健太の頭にある考えが浮かんだ。

『この消しゴムを消してしまえば何もかも元に戻るのでは?でも、消しゴムを消せば、自分も消えてしまうのでは?』

健太は何もない真っ白な世界を想像して、ぶるっと身震いをした。

健太は迷ったあげく、良太を元に戻すためには何でもやろうと決意した。

『魔法の消しゴムなら、自分自身もきっと消せるだろう。魔法の消しゴムよ、自分を消してみろ。今すぐ消えてなくなってしまえ!』

 健太は消しゴムを握りしめて必死に念じると、健太の手の中で消しゴムがもぞもぞと動き始めた。そして消しゴムはポーンと光を放って、煙のように消えた。

 次の瞬間、目の前に良太が現れた。良太は魔法使いのじいさんの文房具屋さんの前に立っているのだ。健太はすぐには状況が呑み込めずに良太の顔を見詰めた。

「あれっ、健太。こんなところで会うなって。まさか健太も宿題を間違えて、消しゴムを買いに来たのか?健太、宿題のことは心配しなくていいよ。この消しゴムで全部消してしまうんだ。」」良太はポケットから不気味な色の消しゴムを取り出して言った。

 健太はその時ようやく気付いた。消しゴムが僕の手から消えたと同時に時間は魔法の消しゴムが良太の手の渡った瞬間の戻ったのだ。

 健太は良太の手から消しゴムを奪い取ると言った。

「良太、宿題を消したらだめだよ。教室も公園も消したらだめだよ。良太、良太も消えてしまうんだぞ。」

  「何を言ってるんだ健太、変なことを言うなよ。消しゴムを返せよ。」

良太は消しゴムを取り返そうと手を伸ばしてきたが、その手を振り払い健太は消しゴムを文房具屋の玄関めがけてがけて思いっきり投げた。

 ちょうどその時、玄関から姿を現した文房具屋のじいさんの大きく垂れ下がった鼻に、矢のように飛んで行った消しゴムが命中した。

 『ぼっか~ん。』と文房具屋のじいさんが爆破し、お店もバラバラと崩れ落ちていった。崩れ落ちる土煙の中から何人かの子どもが走り出してきて、周りをきょろきょろとみている。そして、口々に「元に戻ったぞ!」と叫んで飛び跳ねていた。

健太は大切なものを消し去る魔法の力から完全に解放されたことを知った。

 「あの、文房具屋のじいさんは噂通り、魔法使いだったよ。良太と同じように消しゴムで消された子どもたちが戻ってきたんだ。」

まだわけがわからずポカーンとしている良太の肩をつかんで健太は言った。

「さあ、良太、魔法の消しゴムなんか使わず宿題を一緒に片付けようぜ!夏休み、最後の一日、がんばるぞー!」