まさじいちゃんのふるさと 
            作 キムドン

 

 七十才を過ぎてから、まさじいちゃんは小学校三年生まで過ごした生まれ故郷を思い出すことが多くなった。

思い出したくない故郷だったが足腰が衰えないうちに一度、故郷の町を訪ねようと思うようになった。
 そんな時、孫の伸太朗が週末に泊りがけで遊びに来た。

「伸太朗、明日じいちゃんの生まれた町にいってみようか。」と声を掛けたら、何にでも興味を持つ伸太朗は乗り気になった。

次の日、二人は車でまさじいちゃんの故郷に向かった。

まさじいちゃんの故郷までは三時間の道のりだ。

まさじいちゃんは、車の中で故郷の思い出を伸太朗に話して聞かせた。

「わしが伸太朗くらいの頃は、一年中、山や川で遊んでいたよ。

春は、かた雪渡りだ。春の暖気で解けた雪が夜の寒さでカチカチになるんだ。

足が雪の中に埋まらないから林の中をどこまでも歩いて行けるのが楽しかった。

夏は川遊びだな。
 「魚染めの滝」と言う名前の滝があって、滝つぼをのぞくとたくさんの魚が泳いでいるのが見えるんだ。

網を入れるといっぺんに何匹もウグイやドジョウをすくいあげることが出来たんだよ。

秋は山に入り山ブドウやコクワやクルミ,ドングリの実をたくさん採ったなあ。

ロープを使って崖を降りるターザンごっこや木登りもしてをしたよ。

木登りでウルシにかぶれ、大変な目にあったよ。

冬は、ずり山に登ってスキーをするんだ。ずり山のてっぺんから見下ろすと街の家々がマッチ箱のように見えた。
 屋根の煙突からは、石炭ストーブの黒い煙がモクモクと吐き出され、街は黒い傘をさしているようだった。」

まさじいちゃんの思い出話は尽きることがなかった。

やがて、車はまさじいちゃんの故郷の町に着いた。

伸太朗が車の中で思い描いていた町とは違い、まさじいちゃんの故郷は小さく、寂しく、静かな町だった。

街中の家があちこち取り壊されていて、歯が抜けて様に空き地が見えた。

人の姿が見えない市街地の通りを車で抜けていくと草ぼうぼうの原っぱに出た。

「ここには、わしが通っていた小学校があたんだがなあ。」

まさじいちゃんが車を降りてあたりを見回した。

小学校の校舎は取り壊されていて、原っぱの向こうに炭鉱の立坑が鉄さびに覆われ立っていた。

「まさじいちゃんの故郷は、なんかさびしいところだね。」と伸太朗がつぶやいた。

「昔は本当に、にぎやかな街だったんだ。こんなに寂れていて、じいちゃんもびっくりしたよ。」

まさじいちゃんは悲しい顔になったが、気を取り直して、伸太朗に言った。

「そうだ、月見峠にいこう。じいちゃんがこの町を出る前の日に登った峠だよ。

勘吉じいちゃんが故郷の景色をわしに見せたくて、連れて行ってくれたんだ。

伸太朗にも月見峠からのけしきをみてもらいたいな。」

 まさじいちゃんは、車で月見峠の展望台に向かう途中、ぽつりぽつりと故郷を去った理由を伸太朗に教えてくれた。

 勘吉じいちゃんは、明治三十年ころに石川県から開拓地の北海道に渡ってきたそうだ。

そして、開発されたばかりの炭鉱で鉱夫として働き、コツコツ貯めたお金を元手に小さな雑貨屋を開いた。
 明治、大正、昭和と石炭産業は繁栄し、炭鉱の町は大きく発展した。

勘吉じいちゃんの雑貨店も繁盛して、お酒、お米、みそ、しょうゆ、お菓子におもちゃなど何でも扱う町一番の大きな店になった。

お店を引き継いだ息子は更に商売を広げ、戦後には炭鉱に坑木を供給する会社を立ち上げ、炭山で使う坑木を木材からコンクリートに変える新事業を起こした。

勘吉じいちゃんが裸一貫で始めた小さな雑貨屋が大きな会社まで成長したのである。

しかし、時代は石炭から石油に急速に変わり、あっという間に北海道の石炭産業は衰退した。
 勘吉じいちゃんの町の炭鉱は閉山となり、坑木の会社は倒産、お店もつぶれてしまった。

残ったのは、ばく大な借金だけだった。
  借金を返せなくなった勘吉じいちゃんの一家は故郷を捨て逃げだすことになったのだ。

それがまさじいちゃんがちょうど伸太朗と同じ小学校三年生の時の出来事だった。

勘吉じいちゃんは、故郷を出て間もなく、脳溢血で倒れてなくなった。

初めて聞くまさじいちゃんのつらく、悲しい話に伸太朗は声も出なかった。

「そうだ、月見峠に登る途中、勘吉じいさんが崖に露出していたこぶし大ほどのアンモナイトを見つけたんだ。」

「ここはアンモナイトが出るところなの。」

「そうだよ。この辺りは何億年もの昔は海だった。今は小高い山になっているが、大昔は海の底だった。アンモナイトも二億年前の海の生物だよ。」

「おじいちゃんはとっても詳しいんだね。」

「勘吉じいちゃんに教えてもらったんだよ。さあ、月見峠に着いたぞ。」

二人は月見峠の駐車場で車を止めると歩いて頂上の展望台に向かった。

まさじいさんの脳裏に五十年前の記憶がよみがえった。
 アンモナイトとお店の屋号を見せながらは言った勘吉じいさんの言葉もはっきり思い出した。。 

『正雄、よく見ておけ。この素晴らしい景色。子どものころの故郷の景色はいつまでも忘れないからな。正雄、わしはこの峠に店の屋号を埋めるから、よく覚えておいてくれ。この店の屋号はわしがこの町で一旗揚げた証しだ。一緒に埋めるアンモナイトの二億年の歴史に比べれば、たった五十年の店の歴史だがわしの人生の全てだ。この店の屋号はわしの人生の宝だ。いつの日か正雄、これをほりだしに戻ってこいよ。』

そう言って勘吉じいちゃんは、ブリキの箱に入れたアンモナイトと屋号を展望台の下に埋めたのだった。

二人が展望台についた。展望台は柵木や床板が朽ちて、半分近く崩れていた。
 展望台から見える市街地は寂れ、まさじいちゃんの子どものころの
活気に満ちた街並みはどこにもなかった。

「まさじいちゃん、勘吉じいさんのお店の屋号はここに埋めているの。」

伸太朗に言われてまさじいちゃんは我に返り、伸太朗が指さす地面に目をやった。

「そうだ、ここに勘吉じいちゃんがアンモナイトとお店の屋号を埋めたんだ。伸太朗、ここを掘ってみるぞ。」

まさじいちゃんは、車にもどりスコップを持ってきた。そして、展望台を支える杭の下を掘った。
 するとカチッと固い音がして、土の下にブリキの箱のふたが見えた。

まさじいちゃんは、丁寧にゆっくり穴を広げ、ブリキの箱を取り出した。

まさじいちゃんは、そっとブリキの箱を開けた。

箱の中には、アンモナイトとお店の屋号、それと油紙に包まれた厚紙が入っていた。

厚紙には、太い筆文字で短い文が書かれていた。

『正雄、来てくれたんだな。ありがとう。じいちゃんは故郷を離れる前に正雄と月見峠に来てうれしかったよ。正雄、元気で暮らせ。この故郷をいつまでも忘れるな。』

 勘吉じいちゃんの手紙を読むまさじいちゃんの手が震えていた。
 「勘吉じいちゃん、遅くなってごめん。」とまさじいちゃんがつぶやいた。

伸太朗は、目から大粒の涙が流れているまさじいちゃんの顔をじっと見ていた。