キツネのテント劇団  作 キムドン

今日も遅刻しそうな健太は駆け足で学校に向かった。
そして、朝のホームルーム開始直前の6年3組の教室に駆け込んだ。

遅刻常習犯の健太が大きな声で「おはようー!」と照れ笑いしながら教室に入っていくといつもは教室中に笑い声が起き、担任の青木先生も苦笑いで迎えてくれるのだが、今日は違った。

教室はシーンと静かでみんな真面目な顔をして前を向いている。

健太がバツ悪そうにコソコソと教室の後ろの席に着くと青木先生が椅子から立ち上がり、黒板の前に立った。青木先生の横には女の子が立っている。

「やっと健太くんが来て、みんな揃ったので転入生を紹介します。」

青木先生がそう言うと、女の子が一歩前に出た。

健太は女の子の顔を見て驚いた。昨日、森林公園で会った不思議な女の子だった。

女の子は教室の中をゆっくりと見渡したあと、おもむろに口を開いた。

「私は星銀子と言います。私の父はテント劇団の座長です。テント芝居で全国を旅して回っています。森林公園の広場でお芝居をします。お芝居には私も出ます。公園が終わるまでの短い間ですが皆さんよろしくお願いします。」

良く通る大きな声であいさつすると女の子は深々と頭を下げお辞儀をした。

「さすが舞台に立っているだけしっかりとあいさつが出来ましたね。さて、星さんの席はどこにしましょうか。健太くんの隣の席が空いているからそこがいいですね。」

女の子は青木先生が指さした健太の隣の席にすたすたと歩いてきて座った。

そして、ニコッと笑顔を見せて健太にささやいた。

「昨日はありがとう。子ギツネはもう元気いっぱい森の中を歩き回っているわ。」

「えっ、やっぱり君は一緒に子ギツネを助けた女の子だ。」

「昨日のことはみんなに秘密よ、健太くん。」

二人がひそひそと話していると青木先生の声がかかった。

「健太くん、さっそく星さんと仲良しになったみたいですね。さあ、勉強を始めるので口を閉じてくださいね。」

一時間目が始まったが、隣の席の銀子のことが気になって青木先生の話が全く耳に入らなかった。休み時間に子ギツネことを詳しく聞こうと思ったが、チャイムが鳴ると同時にクラスの女の子がさっと銀子を取り巻き、健太が入り込む隙はなかった。

でも、銀子とクラスの女の子達との賑やかな会話にじっと耳を傾けていたので、テント劇団の生活がとても大変のがわかった。

銀子の劇団は組み立て式のテント芝居小屋を二台の二トントラックで積み込んで、北海道から鹿児島まで全国を縦断して、いろいろな町の広場で芝居をしているのだ。

「お芝居が好きだから、ずっとお芝居をしていたいわ。」とクラスの女子達に答えている銀子の自信にあふれた顔が健太にはまぶしかった。

『僕と同じ小学生だけど一人前の劇団員なんだあ。お芝居が終わるといなくなる銀子と色々話をしたい』と健太は思った。

でも一日中、クラスの女の子達が銀子を取り巻いていたため、健太は銀子と話が出来ないまま放課後を迎えた。

帰り支度を終え、手提げバックを持って教室から出ていく銀子の後を健太は慌てて追いかけ、勇気を出して「待って、一緒に帰ろう」と声をかけた。

健太は、銀子と並んで歩きながら、昨日の出会いで不思議に思ったことを聞いた。

「銀子さんは散歩であんな林の奥まで行くの?。足を挟んでいたキツネのいた所は誰も行かないところだよ。」

「なーんだ、そんなこと不思議に思っていたの。昨日も疑わしそうな顔をしていたわね。私のことをキツネの仲間だとでも思ったの。森で道に迷ったのよ。そうしたら偶然、倒れた木に挟まれたキツネを見つけたの。わたし一人じゃ枝を持ち上げるのが無理で手伝ってくれる人を探していたら健太くんに会ったのよ!そうだ、これは昨日のお礼よ。」

と銀子は手提げかばんからチケットを取り出すと健太の目の前にかざした。

 「私の劇団のチケットよ。これは招待券。健太くん、絶対に来てね。私も出ているの。」

 銀子は、僕の手にチケットを握らせると「さようなら、またね。」と言って昨日と同じように赤いスカートをひるがえし去っていった。

 チケットには、「テント劇団『ドロンコ』演目【がんばれ!コンタ!】開演Pm6:00

会場 森林公園広場」とあった。

 「6時開演か、今日は学習塾の日だけど…。よーし、今日は休んじゃおう。」と健太は迷い無く決めた。

 健太は夕ご飯を食べ終わると学習塾のテキストをバックに詰め、肩に掛けると元気よく家を出た。いつもは嫌々学習塾に行く健太が張り切って出かけたので見送ったお母さんとお父さんは不思議そうに顔を見合わせた。

 健太は学習塾の前を駆け足で通り過ぎ、森林公園に向かった。

日が落ち薄暗くなった森林公園の広場の中央にドーム型のテントがあり、入り口に架かった劇団『ドロンコ』の横断幕が風に揺れていた。あたりに人影がないので、健太はテントに中に入るのをためらっていた。すると、テントの入口が開いて赤いジャンバーとミニスカートの銀子が現れた。

「健太、約束通りきてくれたのね。さあ、中に入って。」と健太を手招きした。

「テントの周りに誰もいないけどお芝居はやっているの。」と健太は聞いた。

銀子は「シッ」と口に指をあてると健太に耳打ちをした。

「もうお客さんは入っているわ、お芝居は今、始まったばかりよ。」

健太が銀子の後からついていくとテントの中はお客さんの黒い影でびっしりと埋まっていた。テントの一番奥にステージがあり、ステージの後ろのテントが外され森林公園の木立が透けて見えた。舞台背景が森林公園の林になっているのだ。

そして、ステージの上には大きな木が置いてあった。

木の上に腰を下ろした子ギツネにスポットライトが当たっていた。

『えっ、あの子ギツネはぬいぐるみじゃないな。本物の子ギツネだ。どうして、子ギツネが…』と健太が不思議に思っていると子ギツネが話し始めた。

「台風が通り過ぎた日のことです。嵐が去り、雲一つない空に太陽が輝き、雨に濡れた木々の緑を鮮やかに照らしていました。枝や木の葉が散らばっている森で僕は冒険がしたくなりました。風で倒れた木と地面の間に出来たトンネルをすり抜け遊んでいると突然、倒木が崩れ、後ろ足を挟んでしまったのです。」

「ああっ、なんて危ないことをするのだ。」とお客さんの中からため息が漏れた。

「僕の悲鳴を聞いてお姉ちゃんがすぐ助けに来たけれど、僕の足を挟んだ枝は持ち上がりません。その時、僕を助けてくれたのがあの人です!」

子ギツネが立ち上がって観客席の最後列を指差した。スポットライトの輪の中に浮かび上がったのは健太だった。

黒い影の観客が一斉に振り向き、大きな拍手をした。

「あれーっ…」健太は自分に向けられた観客の顔を見て驚いた。

キツネ、タヌキ、ウサギ、エゾリス、エゾシカなどの動物とフクロウ、クマゲラ、アカゲラ、シジュウカラ、ゴジュウカラなどの野鳥が観客だったのだ。

「さあ、行きましょう!」と銀子が腰を抜かし座り込んだ健太に言った。

そして、響き渡る歓声の中を銀子に手を引かれてステージに向かった。

子ギツネは木の上からピョンと降りると健太に跳び着いてきた。

「今、おねえちゃんと一緒にいる健太くんが僕を助けてくれました!」

『おねえちゃん?』健太は隣に立っている銀子をまじまじと見つめたが、とてもキツネとは思えない。『どういうこと?』と戸惑っている健太に銀子は言った。

「健太、弟を助けてくれたお礼に素敵なステージをプレゼントするわ。」

銀子がさっと手を上げると天井の布がバリーンとはがれて夜空に吹き飛んで行った。

その途端、観客席の鳥たちが次々と飛び立っていく。

鳥たちは美しい歌声で歌を歌いながら、V字やU字をえがいたり、円形の群れになったりして夜空を舞っていた。色とりどりのスポットライトを浴びた鳥たちはぐるぐると渦を巻き、波をうち、オーロラのように輝いていた。

 ドドドッと地鳴りがして、今度は観客席の動物たちがテントの壁を突き破り飛び出し、森林公園の広場を跳ねまわった。逞しい体をしたエゾシカが大きな角を振り立てて走る姿は迫力満点だった。クマゲラたちは力強くドラムをたたき、ウサギの群れは軽やかなダンスを披露、エゾリスやキツネが鮮やかなジャンプを見せている。

いつの間にか華やかな衣装をまとった鳥と動物たちに銀子が囲まれ広場の中央で妖精のように歌い踊っている。それはまるで夢の中のような美しい光景だった。

森のお祭りのような賑やかな歌と踊りに見入っていた健太の頭上に突然、フクロウが飛んできて、大きなホオノキの葉を落とした。

そして、お祭りの終了を告げるように大きな声で「ホーホーホッホー」と鳴いた。

その声を合図に広場を照らしていたスポットライトが一斉に消え、鳥と動物たちは森林公園の森の中に吸い込まれるように姿を消した。

最後に残った銀子がニコニコ笑いながら健太に手を振り去っていった。

銀子の赤いミニスカートの下から太くて大きな銀色の尾が覗いていた。

静まり返った森林公園の広場に健太は一人残された。公園に一本だけ立っている街灯の寂しい光の下で健太はフクロウが置いていったホオノキの葉を見ていた。

ホオノキの葉に字が刻まれていた。銀子からの手紙だった。

『私は森林公園に住むキツネです。私は健太に正体を隠したけれど悪い気持ちでだましたのではありません。何とか弟を助けてもらいたくて人間の女の子に化けました。

むかしからキツネは人をだます動物と言われているけど本当は違います。助けてもらった人間に恩返しをするキツネの方が多いのよ。私の弟を助けてくれた恩返しのステージはどうでした。健太、これからも森の動物たちをかわいがってくださいね。

そうそう、今日、健太の学校で出合ったみんなの記憶は消してきました。明日、健太が学校で私のことを聞いても誰も覚えていないわ。それじゃあ、また健太と森で出合うのを楽しみにしているわ、さようなら。銀子より』

ホオノキの葉の手紙は健太が読み終わると風に吹かれて夜空に消えたて行った。

星が瞬く夜空を見上げる健太の耳に『コーン』と甲高いキツネの声が聞こえた。