カラスの勘太郎の話 

これは、私が桧山管内の小さな漁村の学校に新米教師として勤務していた三十年前の話である。

六月はじめの日曜日の朝だった。学級の男の子が数人、カラスのヒナをダンボールの箱に大事そうに

入れてもって来た。

「山で遊んでいたら、カラスのヒナが木の下に落ちていた。先生、どうするべ。」

「何とか、巣に戻せないかなぁ。カラスのいたところに案内しろ。」

と子供達と一緒に山へ行った。

カラスの巣というのが、かなり高い木の上にあり、ヒナを戻すのは不可能である。

子供達に真剣に相談された新米先生としては、また、木の下に捨てて行く事もできず、つい、

「しょうがない、先生が面倒をみるか。」

と言ってしまった。

子供達は大喜びだった。

山を下りる道々、カラスの名は「勘太郎」と決まり、みんなで「カアカア、カラスの勘太郎!」

と歌いながら帰ってきた。

勘太郎は、その日から物置小屋の主となった。勘太郎は巣から落ちた時、足の骨を折っており、

ダンボールの中で始終転がって、体中を糞だらけにしていた。

ほおっておくと毛が汚れ、目の玉も糞でふさいでしまうので、毎日体をふいてやった。

足に副木を当てたり、体が転がらないように、つえで支えたり、色々工夫しているうちに、

足が曲がったなりに固まってきた。足がしっかりするとガツガツとえさを食べるようになり、

体がみるみる大きくなった。

そして、ひと月も経つと嘴がとがり、羽根も生え揃い、グランドを自由に飛び回るようになった。

勘太郎は、子供達の人気者だった。

休み時間には、グランドで遊ぶ子供達の肩から肩へと飛び移って愛嬌をふりまいた。

子供達と遊ぶうち、勘太郎は色々な芸を会得した。

投げ上げたえさを空中でキャッチするのは朝飯前、急降下に急旋回、しまいにはブランコ乗りや

鉄棒の前回りまでやって見せ、子供達を楽しませてくれた。

ひと冬が過ぎ、勘太郎はすっかり大人のカラスになった。

嘴も爪も鋭さを増し、肩にとまる時の羽音にも一段と迫力が感じられるようになった。 

そして、愛嬌者の勘太郎は、悪役に変身するのである。

その一、校舎の中を縦横無尽に飛び回り、臭い糞爆弾を落として回る。

その二、急降下で子供達の帽子を引っさらって、高い木の枝にかけてくる。

その三、港におりていき、修理中の船の部品をつまんで海の中に落とす。等々… 

勘太郎にしてみれば、ちょっとしたいたずら(カラスにとっては自然の行為)のつもりだろうが、

それが何度も続くうち、みんなの鼻つまみ者になっていった。

そんなある日、勘太郎が小さい子を追いかけ回し、頭を突ついてケガをさせる事件を起こした。

この事件をきっかけに、とうとう勘太郎の追放が決まった。

小屋に閉じ込めておくのも可哀想、かといって、もう放し飼いは出来ない。

そんなこんなで衆議一決、山へ戻そうということになったのである。

ところが、これが思いもよらぬ大仕事であった。

まずは一回目、太平洋、日本海を同時に見渡すことが出来る雲石峠の頂上に放してきた。 

夕方に出掛け、日が落ちてから放した。

鳥目では、夜は車の後を追えないだろうと思ったからだ。

ところが、翌朝、勘太郎は学校の屋根の上で勝ち誇った様に鳴いていた。 

二回目は、もっと遠くの山と思い、北檜山の久遠峠の頂上に放してきた。

この時は、一週間で帰って来た。

途中、峠下の学校で二、三日道草して、道新の地方版に載るというおまけまでついた。

記事の見出しに、「子供達の人気者〜カラスの勘三郎」あり、セカンドネームまでもらっていた。

三回目、この回から勘太郎は、カラスの帰巣本能を調査する実験動物になっていた。

そこで選んだのが学校から百キロメートル離れた函館山である。

函館山に放したのが日中だったので、勘太郎は大野の山中まで、車の後を追いかけてきた。

そして、中山峠のトンネルを抜けたところで姿が見えなくなった。

十二日後、勘太郎は見るも無惨、ボロボロな姿に変わり果て学校に戻ってきた。

山伝いに帰って来る途中、山のカラスに散々に痛めつけられたものらしい。

羽折れ、傷つきながらも、けなげに学校を目指して戻って来た勘太郎を見ると、さすがに可哀想に

なり、山に捨てるのはもう止めようと思った。        

ところが、この実験にすっかり嵌まったS先生が調査続行を主張して譲らず、勘太郎は、またもや

旅に出されることになった。

実験テーマは、「カラスは海を越えられるか?」。

行き先は、青森である。

勘太郎の傷が癒えた数日後、深夜の青函連絡船(青函トンネルは、まだ開通していなかった。)で

青森に行き、朝五時、赤い首輪をつけて港に放した。

そして、勘太郎が港のあちこちに散らばっている魚の切れ端を啄むのに夢中になっているうちに、

こっそり函館にもどる六時の連絡船にとび乗った。

港を離れる連絡船の甲板からいつの間にかいなくなった我々を探し、桟橋を飛び回る勘太郎の姿が

見えた。

その勘太郎に小さく手を振りながら、今度、勘太郎が戻って来たら、大きな小屋を建てて、大事に

大事に飼ってやろう思った。

これまで、勘太郎に行った数々の仕打ちに後ろめたさを感じていた。

それに、もし、勘太郎が津軽海峡を渡って帰って来たら、もう誰も「海を越えたカラス」を追放する

なんて言わないだろうと思ったからだ。 

勘太郎には心の底から、戻って来てもらいたかった。

毎日、毎日、勘太郎を待った。

でも、勘太郎は、それっきり、帰ってこなかった。