むかしの遊び

        

先日、デパートの民芸品コーナーで「ビー玉」を一袋買ってきた。

 子どもの頃、夢中になって遊んだ「ビー玉」を見て、つい懐かしく思ったからである。

 春、雪がとけ黒い土が見えはじめると、腕白どもがポケットにビー玉をいっぱい詰めこんで路地に集まってくる。

棒で一本線と数メートル離れた位置に三角形を描き、その中にビー玉を置く。
一本線から手玉を投げて三角形からビー玉をはじき出すと自分のものとなる。

負けると逆に、ビー玉が取り上げられるので、真剣に微妙なコントロールを競い合った。

 うまく投げ勝ち、相手のめずらしい色のビー玉を獲得した時は、胸が高鳴った。
 さっそく、馬糞まじりの水たまりで洗い清め、宝の箱に大事にしまいこんだものである。

 みんな各々に自慢の「ビー玉」があって、色、模様など、ゲームとは別に競い合った。

自分は透明の明るい青い玉が好きで、時々、ぼんやりそれをのぞくのが楽しみだった。

ラムネの泡をとじこめたようなビー玉の世界に、自分をすっぽりとけこませ、いろいろ空想をめぐらた。

 とりとめなくビー玉の事を書いてきたが、「ビー玉」の他にも昔はいろいろおもしろい遊びがあった。

バッチ、コマ、カンケリ、ケンバタ、ポコペン、じんとりなど…

どの遊びも一定の技術とルールが要求され、遊びながら運動神経と社会性(集団規律)を身につけていった。

 今の子供たちの遊びを見ると一人でゲームマシーンを操作する遊びが多く、遊びを通した人間関係が希薄である。

ビー玉もふくめ、「むかしの遊び」には情緒があった。

お金をかけた機械じかけの遊びが大はやりの昨今、単なる懐古趣味ではなく、むかしの遊びの復活を考えている。